東京の富士山はダイヤモンド
2010年1月30日 土曜日 22:22
まえがき:1月30日の日記を2月7日に書きます。
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絶賛悶絶悶々中のところにもってきて、会社の契約更新と謎の企画書20本ノルマというわけのわからんストレスがミルフィーユのようにまったりこってりべっとり重なって、とても息ができないのでのり子に来てもらった。
そしたらとりあえず、ダイヤモンド富士なるものが拝めた。

ヒャッホー。
富士山と夕日(地域によっては朝日)がこうやって重なって見えるのを、ダイヤモンド富士というらしい。各所、年に2回。

絶賛悶絶悶々中に見る、美しいものをみるために集まった地元の人々、その感嘆の声、交わし合う喜びの表情、というのは、感極まるものがあった。
前にも一度、のり子と来たことがあるこの富士見坂は、わたしの認識が正しければ上野台地の西の際。本郷側から谷を登ってやっと高台に出たところにある。
東の空を見上げると、巨大なマンションビルがにょきっと伸びて、招かれざる新参者の精いっぱいの虚栄とばかりに西日をさんさんと浴びている。一方こちらの足元は、綱渡りみたいに頼りなく這い伸びる細道で、なんとか車1台の幅はあるけどもちろん一方通行。ぐるりを広大な寺々に囲まれていて、いかにも寂しい。
下町の無闇な都会化を妙に虚しく感じさせる、こんなへんぴなところに、みんな集まってきたのだ。あんなちっちゃな、新宿ビル怪獣に食べかけられた富士山を見るために。
実家が富士山の近くにある人は、わざわざ東京から富士山を見たいとは思わないみたい。その点、のり子は静岡の人なのに、東京のあんななさけない富士山に感動できてすごいと思う。感動できるどころか、ダイヤモンド富士ってものを調べ当てて、めんどくせーよー富士山なんてどーせみえねーよーと悶絶悶々ふてくされているわたしを連れ出すことまでしてる。
富士山はすごく美しい形をしていると、最近わたしはつくづく思う。
西洋人は山を愛でるために眺めるということをしない、と聞いたことがある。脳の違いを説明するテレビ番組かなんかで言ってた。でも、それはもしかして脳とか感性の違いじゃなくて、山の形の違いかも。
だってやつらの国には富士山ないんだぜ。わたしだって木曽山脈とか中央アルプスとかだったら眺めないもんな。富士山だから眺める。
そんで、富士山のすごいのは、東京から見えることだと思う。
江戸時代から大都市で、自然や大地との調和みたいなことより、人と人、時間と仕事、みたいなことが最優先の大忙しの生活が繰り広げられてきたこの東京から、富士山は見えるのだ。未だに。
人々は、富士山を見るときだけは、自分たちの生活をちょっと俯瞰できたんじゃないかと思う。今日は赤いな、とか、今日は青いな、とか、お、冠雪したぞ!とか、そんなふうに富士山を見やる一瞬は。
埼玉の多摩湖のダムから見た夕日の富士山も、すごくすごく美しかった。あれは、関東から見る初めての富士山だった。
でも、もっとずっと小さい、光化学スモッグまみれの富士山は、なんだか心に響く。寺の脇道に集まった、たくさんの人々の心に等しく響く。
生き物よ。
2010年1月30日 土曜日 02:07
部屋が散らかっていて、洗い物も洗濯もしてなくて、忙しくしたり考えたりしていて、ふと、金魚のいない金魚鉢のことを思った。
次はメダカが飼ってみたいなー。と思いながら、おしるしの「きんぎょ」をたぐって金魚日記をさかのぼってみた。
生き物がいる生活っていいな。
あー、このそこはかとない虚しさ、寂しさ。一人暮らしの醍醐味。
映画『家族』
2010年1月24日 日曜日 15:34
きれいな映画でした。
寅さんがへらへらしてるのに、さくらが「おにーちゃん!」って言わない違和感が、ちょっと強すぎた。寅さんシリーズ3作目と4作目の間、1970年公開。
『おとうと』見たい。『幸せの黄色いハンカチ』も見たくなっちゃった。山田洋次のぜんぶ見たくなってきた。とすると、倍賞千恵子ばっか見なきゃだな。
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5年くらい前。そのSMクラブはそれまで、わりと知る人ぞ知るという感じの、きれいで賢くて素質のある女の子を集めた店だった。それが、女の子を選別することなく(店には見抜けない可能性を信じて?)受け容れて、法的にも経営の健全化させて、マスコミに対してもオープンになって、むしろ自分たちが発信者になるぞ!くらいの気概を持つ店に変わった。
この変化を見てきたお客さんが「こういうところで遊ぶのは、秘密めいてるからいい。ところが最近はオープンで健全な雰囲気になってしまって、魅力がなくなった。経営者はそういうことが分かっていないんじゃないか」というようなことを言った。
わたしは、そんなの一部の男の勝手な言い分だと思って、納得できなかった。経営者が目指した女の子(売り物)の権利を守るやり方は、妥当だと思った。
けど最近、SMとかフーゾクとかに関わらず、世の中には、秘密めかしておいたほうがいい、まともな、ふつうな感じがする、ということがいっぱいあるなと思うようになった。
20代のころは、性産業にものすごい興味があった。‥‥性産業のうち、売る側に興味があった。買う側のことは、どんなに想像したり理解したりしようとしても、無理だったから諦めたし、そんなには興味もなかったのかも。で、エロ本の仕事を辞めて、「なんかいやだ」っていう感覚を大事にするようになってから、秘密めかしておいたほうがいいことが堂々と表に出ていると、なんかやだなーと思うようになった。
それまでは、臭いものに蓋をするから腐るんだ!とか思ってたのに、その自分が蓋をしたくなってるのに気付いて、戸惑うけど、うれしい気もする。理屈の矛盾は矛盾のままだけど、そういう自分の感覚の変化は尊く、うれしい。
マンション6階より。
2010年1月24日 日曜日 14:41
ビルがどんどんニョキニョキ伸びて、地面まで太陽が届かなくなったら、人はますます‥‥ますますどうなるんだろう‥‥部屋干し用洗剤と乾燥機が必要になる。
回想と、すこし悶々
2010年1月23日 土曜日 21:53
以下、mixiで2007年11月17日に書いた日記『シンポジウムとおはなし会と映像の世紀』を全文コピペ。
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こないだ愛知東邦大学主催の「子どもが育つ地域づくり」というシンポジウムへ行った。
そのことを長々とどっかに書こうと思ったのだけど、あした早いからもう寝る。
今自分の生活の中でいちばんたのしいおはなし会ボランティアがあるのです。http://www.aichi-pref-library.jp/jidou/jgyouji.html
明日は紙芝居を2つやります。
朝11時半からのちっちゃいこ用が「ポケットポケット」とかいうやつでこれは5歳以下じゃないとおもしろくないとおもうけど、2時からおっきいこ用にやる「たべられたやまんば」(=3枚のおふだ)は大人もおもしろいと思います。
だから見に来てね!とはぜんぜん言いません。
知ってる人がいたらきっとどもっちゃうからね。
わたしのこと知らない人は見に来てね。
ちなみに、自分の生活の中で2ばんめにたのしいのは保育士試験の講座。授業はおもしろいけど練習問題はまちがいばっかり。
こないだわたしがゆびにはめたクマの人形になついてきた子どものパパが、どっかでみたことあるなーと思ったらあとで思い出したんだけど仕事関係の人でした。
あたしなにボランティアなんかやってんだろ、的な気分になった。
シンポジウムではこどもケータイでもエロ画像がこんなに見れる、ということを熱く問題視するえらい人が、パワーポイントで延々エロサイトを見せてきて、「おまえぜってー好きだろ」と思った。
PTA風なおばさん(たぶん教育関係)に「なぜ子どもがあんなに脱ぐのかその気持ちがわからないのですが」と質問されて、「ぼくもわからないがサイトの作りが巧妙なのだ」というような感じで答えていたのがぶへ・!と思った。
子どもについて考えてるえらい人なのに、「なんで脱ぐんだろ」って疑問に思ったことないのかな。
わたしはそこで挙手し、性を売る人がなぜ性を売るのか熱く論じた。
うそ。きっとポカンとされるだろうし明らかに浮いちゃうし緊張して声がうわずるのも恥ずかしいしお腹も空いていたからやめた。それによしんば、よしんばうまく話せたとしても、議論のための議論はきらいだ。
愛知県児童総合センターセンター長の話はたいへんおもしろかった。
このセンターはこどもにあそびを提供する施設なのだが、ぜったい彼らのほうがたのしそうだと思った。
センター長はえらい人たちの中ではちょっと浮いてる感じがしてそれもよかった。
NHKの映像の世紀を図書館で借りて見ているけどおもしろい。
ほしいけど高い。http://www.amazon.co.jp/dp/B000BEYCB8/
サンタさーん、ほしーよーう。
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今のわたしなら、「ぼくもわからないがサイトの作りが巧妙なのだ」という言葉に疑問を持たないだろう。問題の本質に自分の手で触れようとする前にメディアのせいにしちゃうのは悲しいね。余裕がない、大人自身に。それで子どもを云々言っちゃいかん。悪循環だ。
「ぶへ・!と思った」理由、もっと知りたい。「性を売る人がなぜ性を売るのか」、日記中でいいから論じといてほしかった。
 
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