『華より花』


華より花
華より花
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みな子
主婦と生活社
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今年5月末に亡くなった、最後の「吉原芸者」みな子さんの自伝本。

吉原芸者というものを知らなかったので、おもしろかった。
「芸者」ってもともと、吉原芸者のことなんだそう。

わたしが遊廓に興味をもつようになったきっかけは『さゆり』という小説で、あれを読んであこがれて、着付けを習ったりもした。向島芸者になろうと考えたこともあった。(お酒飲めないのと、体張るのがもういやになっていた時期だったのとで、諦めたけど。)

さゆりは、京都祇園の芸妓。やっぱり戦前くらいのはなし。芸事もすごくがんばっていたけど、やっぱり体も売っていた。芸妓という仕事はそれ込みだった。毎日とっかえひっかえみたいなやりかたではなく、「旦那」につく制度だったとしても。

一方、みな子さんは吉原芸者。吉原には花魁という、それ専門の人がいるので、芸者は体を売らない。頑なに売らなかったようだ。売らないことを誇りとしていた。

なので、この本では、体を売る仕事周辺についてはほとんどなにも書かれていない。吉原では、芸者と花魁はほとんど口をきくこともなかったようだ。

吉原芸者という人たちがいたというのはとても興味深いことだし、芸の世界って憧れる気持ちもある。けど、わたしはやっぱり、体を売るという仕事、そしてそういう仕事に従事している女性に心惹かれる。

そういえば、京都の揚屋建築で今博物館になっている角屋の主人(館長)が、「吉原には歌舞練場がないが、島原にはあった」と言って、「吉原の花魁が売っていたのは体だけだが、島原の花魁が売っていたのは芸だ」と主張していたのが、印象深い。

つまり、島原の花魁が体と芸を両方売っていたのに対し、吉原では、芸は芸者、体は花魁というふうに、役割を分けて売っていたわけだ。

役割を分けていたというのは、他の場所では聞いたことがない。あの館長さんは、吉原芸者のことを知らなかったかもしれないな。

けど、格や歴史、システムがどうであれ、花街も遊廓も、売っていたものは同じだ。

体を売るにも芸を売るにも、プロ意識、技術をより高めようとする意識は必要。こういう仕事では、他の仕事よりもプロ意識が重要。なぜなら、それがないと、ただの肉人形になってしまうから。自分を蔑むしかなくなるから。

だからどこでも意地を張り合って「うちが本物」ってなことをいうのかもしれないなあ。

プロ意識は、人に主張するものではない。胸の内にひっそりと、しっかりと、しまっておくもの。それがしっかり持てていれば、意地は張らなくてもいられると思う。

小説『サイパンから来た列車』


サイパンから来た列車
サイパンから来た列車
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棟田 博
TBSサービス
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以前見た渥美清主演の映画『拝啓天皇陛下様』。これの原作者である棟田博の短編集。

『拝啓天皇陛下様』は、幼い頃に両親を亡くして食うや食わずだった主人公(渥美清)が、厳しくても、三度のご飯を不自由なくいただける軍隊生活をそれなりに楽しく過ごしていて、戦争が終わりそうになったら「それは困る!」と天皇陛下に手紙を出そうとするおはなし。終戦後も、人情深いストーリー展開。だったような気がする、あんま覚えてないけど。

戦争をテーマにしたものは本でも映画でも、メッセージ性というか、イデオロギーというか、なんだか作品自体が重い任務を背負いすぎていて、戦争体験のないわたしとしては、受け止めきれず消化不良を起こすことになる。

けどこの映画は、皮膚感覚を伴う日常の描写、日常の連続からなる人生の描写に終始していて、印象深かった。部隊が軍隊であっても主人公にとってはそれが日常であること、その空気感。渥美清演じる主人公の人生観、人間的魅力。

役所があんまりハマってたので、渥美清の存在感にしか目が行かなかったけど、原作の視点もおもしろかったんだなと、『サイパンから来た列車』を読んで分かった。

どんな大きな問題も、根底にあるのは人間一人一人の、皮膚感覚。日常。だけど、問題の大枠を説明しようとすると、それは往々にして見過ごされ、ただ漠然と大きな問題でしかなくなり、根幹を見失って巨体だけが上滑りしていってしまう。

こういう、大事な部分を大事に描けているものには、力があります。

編集業務をまるごと1冊自分でやった、初めての本でした。
なので、発売記念エントリー。

『サイパンから来た列車』は、倉本聰のドラマ『歸國』の原作ですが、一緒に入ってる『ポッポ班長万歳』というのが、ユーモラスでおもしろいです。軍隊の訓練生活のおはなしです。