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いい子って言わない


こっそり抱いている自分の保育指針として「『いい子』って言わない」というのがある。多くの場合、「いい子」=「大人にとってつごうのいい子」だから。

それ間違ってるって重々分かっててもつい、言うこと聞いてくれると「○○ちゃんはいい子だねえ」と言ってしまう。そんなことを褒めてはいけない。それでは子どもが「つごうのいい人」に育ってしまいそうで怖い。

大人には怪獣のように見える子でも、自分より小さい子にやさしかったり、お手伝いして誰かを助けることを喜びに感じたり、負けず嫌いでがんばりやさんだったりする。そういうのがいい子だと思う。

「いい子にしてた?」って大人が子どもに言うときは大抵、「大人に迷惑かけなかった?」って意味だよね。なんというパワハラ!

ちなみに、わたしは元・いい子です。

日帰りボラツアしただけの「支援者」の思索メモ


「支援したい」という支援者の気持ちが「自己満足」でしかないのかそうでないのか。どこまで部外者が支援するかを決めるのは、実は支援者自身ではなくて、支援を受ける側の笑顔なんじゃないか。

もしも支援者の支援が助けになっているのなら、支援を受ける側は「助けてもらってすまない」「あとは自分でできる」というよりも「ありがとう!」「うれしい!」と笑顔をいっぱい見せてほしい。支援者はそのために支援している。楽になったら笑顔になればいい。楽になるのは悪いことじゃない。というか、いいこと。絶対。

それでも、部外者が支援することで現地の雇用が減るとか、なにか不都合が生じるなら、それをそのまま伝えてくれれば、支援者はよろこんで手を引くだろう。

支援するのに自重する必要はないし、支援を受けるのに恐縮する必要もない。

「支援する/される」は、ただの人間らしい循環。ただ、ちょっと美しいだけ。

におうTシャツ


洗いたてのTシャツを来たらかずのりくさい。多少トクした気分。

5年半付き合ってて、もう遠距離の時間の方が長くなっちゃった。
引っ越してきた時は、いつ終わってもまあしょうがないや執着もないしと思ってたけど(いや大好きなんだけど、固執はしてなかったというか。えと、自分の人生曲げなきゃ成り立たない関係ならしょうがないよねっていう‥‥)、時を重ねるというのは怖いもんで、最近、感謝の念といいますか、愛情といいますか、積年の情け(?)がしみじみと感じられるわけです。

たまにしか会えない恋愛をしてよかったなあ。そうでなければうまくいってた自信まるでない。

でも彼のほうはちょっと苦労してるのかなあ。悪いなあ。わたしばっり好きにさせてもらっちゃって。

しかし洗いたてなのにしっかり残ってる、におい。なんでかなあ。

もやっとしているぞ!


文章を書くことのおもしろいところは、自分の感じているものこと、体感して体得したっぽいこと、なんかもう分かってることが、感覚じゃなくロジックでだんだん分かってくるからだ。

文章を組み立てるときわたしがやっているのは、感覚の理屈化だ。

でも激しく論文とか苦手だし、理屈っぽい本は眠くなって読めない。
眠くなるというのは、自分の能力を超えた本を読んだりすると眠くなるらしい。

考えてると眠くなるから、もやっとしたままでもとにかくキーボードに向かってたらたらと書けば、だんだん分かってくるのかも知れない。

本の企画書作りつつ。
‥‥わー、かなり危なげ‥‥。見えてなさげ‥‥。

文章書くのは好きなのに、論理的な思考は苦手っていうのは、一体なんなんだろうな。

というか、いつから論理的な思考をこんなに苦手と思うようになったのか。
昔は得意だと思っていたはず。