ひどく残念だった子どもエピソード
2009年3月13日 金曜日 08:36
シッターが保護者の代わりに園へお迎えに行くときの心構えについて、の問題に答えていて思い出したことを書く。
日曜日、日本民家園という古民家の移築したのを集めたところで、民話の会の「語りっこ」というのがあったので行ってきた。
会員の集まりというより、民家園に遊びにきた人がそぞろに聞いていく。
まさにいろりを囲んで、おばさんやおばあさんやおじさんやおじいさんが話す。
お話の内容もおもしろいし、方言や話し振りや表情も楽しい。屁についてのはなしが一番子どもにうけていた。
そこで、ちょっと飽きちゃってた2歳・3歳くらいの女の子がよそ見してた。
わたしはその子と「ヘン顔あそび」をした。
「ヘン顔あそび」は、静かにすべき場所で飽きちゃった子に「知らないオトナ」が差し伸べることのできるなかなか良い手なのだ。
飽きた子どもというのは、親が「しっ!」と言ったって、自分に注意を向けてくれて「しっ!」ってやる親のことをうれしく思うものだ。分かってても見てるわたしはあやせない。
そんなときに、子どもにヘンな顔をして見せると、その子は声を出さない程度に笑って、あとは警戒しながらも期待してチラ見してくる。わたしは、出し惜しみしつつヘン顔を見せる。だんだんなじんでくると、子どももヘン顔をまねして見せてくる。そこには言葉のないコミュニケーションがある。同じ場を共有して、ともに飽きている仲間、というような。そしてこっそり秘密遊びを共有している、というような。
わたしは会の写真係を仰せつかっていたので、ついでにその子のヘン顔も撮った。そしてその場でその子に見せた。カメラやカメラに写る自分の顔を、子どもはたいがい喜ぶものだ。
でもちゃんと静かに喜ぶ。子どもはほんとはわきまえてる。ここは静かにしなきゃいけない場所。でも親がかまってくれないし飽きちゃったし、つまんない。だからわざと、親がこっちを向いてくれるようないたずらをしたくなっちゃう。
というようなことがあった後、いろりの家を出て、庭のベンチに座ってるその女の子に歩み寄った。いっぱい撮った写真を見せてあげようと思った。
声をかけたのはここが最初。
となりにいたのは5・6歳のおにいちゃん。
おにいちゃんはお話のときは、飽きて寝そべって寝てた。いろりの火にあたってぬくもりながら。
わたしが話しかけて写真(カメラの液晶)を見せると、女の子が何か言う前におにいちゃんが言った。
「犯人だったらどうする?」
「変な人かもしれない」
わたしは「そうかもね。でも写真撮っちゃった。おにいちゃん寝てたでしょ」などと言ってしのいだけど、心の中ではもう、がっかりの嵐が吹きすさんでいた。
親か学校か社会か、問題の根っこなんてよく分からない。そんなのどうでもいいくらい悲しかった。
わたしは、民話の会に行くといつもすごく心があったかくなって、たまに泣いちゃうくらいだ。知らない人どうしが、おじさんおばさんおじいさんおばあさん、たまに大学生くらいの若人も、一緒になってとてもアナログな、ローカルな、なんの媒体もないただの「おはなし」や「うた」や「遠足」で仲良くなって、おしゃべりして、寒い日は寒いなりに、雨の日は雨の日なりにたのしく過ごす。
そういうことの楽しさをよく知ってる人たちが集まる。
自分の子ども時代と変わっちゃった風景や社会を嘆く人もいるし、古い人の昔語りを楽しむ若い人もいるけど、きっと分かち合ってるあったかいものは一緒。年末の忘年会なんか、料亭のでかい立派な宴会座敷で、みんなで手をつないででっかい円をつくって「また会う日まで」を歌った。みんなちょっとてれながら笑ってたけど、わたしは、自分でも引いちゃうけど心から感動してしまった。いい大人がコレやるなんて!できるなんて!ちゃんと声だすなんて!
民話の会の集まりに行くときは、こういう時間を持ちたくて行く。
だから、あのおにいちゃんの言葉は本当に悲しかった。
もし、「知らないオトナ」が園にお迎えにいったらどうなっちゃうだろう。
お母さんにも先生にもちゃんと了解をとって、あらかじめ子どもに伝えてもらったって、どうやってその後の数時間をたのしく過ごせばいいんだろう。
子どもは親しか知らない。でかいマンションじゃ近所のおじさんおばさんさえ警戒の対象になっちゃってる。
前、mixiのニュースで「公園で子どもに声をかけた不審者が捕まる」ってようなのがあった。それはほんとに不審者だったのか。子どもがかわいくて「こんにちは」って言っちゃっただけじゃないのか。
たしかにおにいちゃんは寝てたし、わたしは初対面で警戒に値する人間だったかもしれない。
でも、いろりの時間をすごしたあとのその古民家の庭でさえ、挨拶もできないなんて。
親である人は、子どもが心配なのとか治世不安とか分かるけど、あんまり「きをつけろきをつけろ」って念仏のように唱えないでね。
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でもやっぱり怖い。地域社会のつながりの希薄さは、子どもだけじゃなくて大人もヘンにしてる。だからヘンな大人はやっぱり実際にいる。
前、知人が「子どもには、何かあったら大声を出すように練習させてる。でっかい声を出す練習」と言ってた。防犯ブザーなんて、いざというときには意味がない。わたしも中学生のとき持たされてたけど、もらったとき遊びで鳴らすだけで、いざというときにはそんなもんどこにしまい込んだか分かるわけない。声はいいアイデアだと思った。声なら相手をひるませるのにもぴったりだ。
子どもは、教えなくたってヘンかそうじゃないかの区別くらいつく気がするんだけどなあ。むやみに大人を信頼させるように調教しなければ。ヘンな人とふつうの人が世の中にはまじって存在するってことさえ分かってれば。天然で。
 
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