おかっぱjp > つづり帳 > 小説『桐島、部活やめるってよ』


小説『桐島、部活やめるってよ』

2010年5月31日 月曜日 02:55

桐島、部活やめるってよ
朝井 リョウ
集英社
売り上げランキング: 3466

うほー期待通りかそれ以上の、懐かしいきな臭い空気感。

ああいうどどどーっとなんの億劫さも怯えもなく日々を進めていく感じ、集団あってのあの流れみたいのを感じていたら、なんか結婚したくなった。

あと書きたくなった。

今日はほんとにすごくすごく珍しく小説なんて読んでいる。
桐島〜は図書館で予約して、読みたかった気持ちすっかり完璧に忘れるくらい待たされて、やっと来たやつ。
その前に、iPhoneで『舞姫』を読了した。

阿部一族・舞姫 (新潮文庫)
森 鴎外
新潮社
売り上げランキング: 104262

そういえば舞姫も高校時代の感傷がまじってるなー。授業でならったので。

国語の授業は、というか授業って、ほかごとできない、退屈な、強制力のすごく強い時間で、高校時代以来ああいう環境に身を置かされたことがないと思う。

なくなってみてしばしば思うんだけど、わたしは国語で物語をやる時間がものすごく好きで、評論文とかの時間は教科書の先の方の小説読んだりして楽しんでて、授業で扱う頃には絶対一度は読んだことあるような状態だったんだけど、それをなおかつ、先生の懇切丁寧な解釈付きで理解するのは本当にたのしかった。

舞姫って、

 石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ來る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟に殘れるは余一人のみなれば。(後略)
-青空文庫より-

こんなむづかしい文だよ。これがすごく好きだったという印象。もし今回が初見だったら、とても最後まで読めなかった。国語の授業のあの時間の追憶として、楽しんだまで。

あと、授業の時間は、その強制力から必然的に思慮を深くする時間になる。あの時間に夢を見たし、内証を楽しんだし、自我のかなりの部分を培ったと思う。

大嫌いだった日本史の教室の窓枠と中庭と、中庭の向こうの本校舎とその窓と、その窓に映る空は、本当によく見た。あの先生の声と仕草を、その内容はまったく咀嚼することなく、音と風景として捉えた。熱くも寒くもない、きもちいい季節の感覚だけ残ってるなあ。先生は教師の前は研究者だった人で、人前でしゃべるタイプの人じゃなくて、自分の好きなテーマについて喋るときだけうっかり「気の利いた教師」ぶって脱線してみたりするときの楽しい気持ちを出し惜しみするあの語調と身振りは好きだった。

話をもどすが、大好きだったはずの『舞姫』を32歳で再読して思ったのは、昔のブンゴー、フェミ的にほんとウゼー! 金持ちのインテリじじいが、ヨーロッパの貧乏でバカで天使のように美しい少女にのぼせ上がった上、無責任に金で捨て去るんだぜ。ありえない。なにが文学だ!!

でもそのあと、自分より一回り年下の男の子が書いた『桐島〜』を読んで、「女子なんて、かわいいカノジョ演じるのが楽しいんだよな。結果オトコに都合のいいオンナが生まれるわけだけど、それも健康的だわ。」と思い直した。

映画『旅の重さ』

2010年5月23日 日曜日 14:05

旅の重さ [DVD]
旅の重さ [DVD]
posted with amazlet at 10.05.23
松竹 (2005-10-29)
売り上げランキング: 11280

母親(岸田今日子)男を連れ込むので息が詰まり、お遍路に出た16歳のロードムービー。性的なことがちょいちょい起こる。

居場所を求める旅というのは、居場所がない時にしかできない。主人公はそれをして、最後に「とりあえず帰る場所」を作った。

居場所がないのに旅にでなかった子(秋吉久美子)が自殺するエピソードもさらっと効果的に盛り込まれていた。

居場所なんていつも「とりあえず」なんだと思う。「とりあえず」のうちの一個がたまたま死ぬまで続くだけ。

渋谷

2010年4月8日 木曜日 00:59

今日、仕事でちょっと渋谷を歩いた。
ものすごく人が多くて宣伝の音や車の音がうるさくて、窮屈なのに、解放感に浸れる。あの都心特有の雰囲気は、嫌いのつもりだけど、好きなのかもしれない。酔う。

ここなら体売ってもいっかって気分になるよな。

って何度も反芻した。

都会の解放感のせいでいい加減な人間になってしまう、ということではない。セックスとかそれにまつわるサービスを提供してお金を得るという仕事が、あそこでは受け容れられてるように感じる。

土地には血があると思う。いや、ないだろうけど、そう感じるくらい、土地って長いこと脈々となにかを受け継ぐ。少なくとも、人間の寿命よりはずっと長く、なにかを受け継ぐ。

そういう「なにか」の中に、上記職業意識も含まれていて、渋谷とか新宿とかって、そういうことを許容している気がする。

10年くらい前、わたしは新宿が嫌いだった(今でも嫌い)んだけど、ある人が新宿を好きだと言っていて「なんで?」って聞いたら「なんでもありだから」って言ってて、その時は分からなかった。だってきれいさとか安心感とか静けさとかいう、わたしの好きな要素はないから。でも、「なんでもあり」ってそういうことじゃなくて、人の逸脱を許すキャパみたいなことだったんだろうな。分からないけど、多分。

「思い切ってはみ出したところでほんとに面白いもの見つけられて、そこから戻ってやっと当たり前も面白く思える。両方ないとバランス狂う。」

これは、渋谷でツイートしようとして電波不良でツイートされなかったつぶやき。

鮫島にはなれない。

2010年2月25日 木曜日 22:30

わたしは、工夫したり努力したりしてまで、人を納得させたいと思えないのかもしれない。自分の直感で「いい」と思ったものが他の人にもいいかどうか自信がない、あるいは興味がないから。そして、しかもそれを伝える自信もない、あるいは興味もないから。

周りのシレっとした雰囲気にあれだけ熱くなれる鮫島を見つつ。

結局テレビネタであります。

自分の直感に自信がないわけじゃないのです。というか揺るがぬ自信があります。でもそれは、「わたしにとってはこう」という自信であって、それを人に押しつけたくはない。多分押しつけられるのが、あるいは善意を持って誘導されるのが苦手だから。

ブログは、誰にも押しつけず、押しつけられず、それでいて一応公の場でそういうつれづれなるわたしの真実を書けるから、長く続くし心地よいのかも。

コミュニケーション系のネットサービスあれこれは、ちょっと、なんか、使わなくていい気とかエネルギーとか動揺とか時間とかを使う。ちょっとだし、おもしろいことも多いんだけど。

-

っていうか、びびってるのか?

-

あ、時代感なのかも。ツイッターは正面向き合いの交流じゃなく、独り言がなんとなく繋がるからみんな気持ちいいのか。

生き物よ。

2010年1月30日 土曜日 02:07

部屋が散らかっていて、洗い物も洗濯もしてなくて、忙しくしたり考えたりしていて、ふと、金魚のいない金魚鉢のことを思った。

次はメダカが飼ってみたいなー。と思いながら、おしるしの「きんぎょ」をたぐって金魚日記をさかのぼってみた。

生き物がいる生活っていいな。

あー、このそこはかとない虚しさ、寂しさ。一人暮らしの醍醐味。