本とWeb


今日、パソコンで青空文庫の『蒲団』を一気読みした。
このくらいの長さの小説を、Webで読むのは初めて。

琴線に触れる小説だった、とは言わないけれど、それなりに余韻の残るいい小説だった。

余韻に浸っているとき、余韻の対象物が物質として存在しない。つまり紙とインクではなくて空気みたいに存在しているデータだ、ということを痛感した。

わたしは本が好きで、思い入れのある本は手元に置いておきたい。
この気持ちは、幼少時からの習慣のせいなのかもしれないけれど、とにかく想いにふける対象物が物質としてそこにない、ということに一抹の寂しさを感じた。

こういう現象が、今後世界でどういうふうに人々の心に、文化のありかたに影響を与えるのか。
絵画なんかだと、肉筆vs印刷物という価値の重さがハッキリしていてまだ分かりやすいのだけど。
アンディ・ウォホールなんかがやった商業的な絵画というか美術というか、作品作りは、そのあたりに革命をおこしたわけだ。でも彼の商業的な作品は、やっぱり肉筆の美術とはまったくちがうカテゴリーに属すると思う。
そして、シルクスクリーンの大量生産作品だとしても、やっぱり紙とインクで出力されてないとダメで、本にまとまってるのなんかじゃ味わいきれないのは明白。

論文や、データ的な意味合いの強いテキストは割り切りやすい。
でも文学は、難しい。どう展開していくのか分からない。

こういうことを最近よく考える。
今までは媒体のあり方になんてそれほど興味なくて、とにかく自分がアウトプットしたかっただけなんだけど、そうでないもっと全体的なことを考えるようになったのは、良いか悪いかは別として個人的に大きな変化だと思う。アウトプットよりインプットに脳みそを使う時間が格段に増えたし、興味も強まった。

インプットもアウトプットもわたしにとっては魅力的な作業だ。

本『コックサッカーブルース』


コックサッカーブルース
村上 龍
小学館
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緊張感のある文章が詰まってる分厚い本を読んでいて、残りの厚みが減ってくと、こっちの緊張感も心地よく高まっていく。

この本、好き。
真ん中にへんな絵が詰まってるページがあって、そういうとこも好き。

村上龍の本は生理的に受け付けなくて途中で投げ出してしまうことが多いので、ほとんど読み切ってない。読み始めるのは文章の緊張感に魅了されるからなのだけど、ついていききれない。

この本はのめり込める。
生理的に高揚する。つまり生理的に受け付けるとか受け付けないとかいうレベルを超えてる。

わたしはいつも自分の生理に忠実でいられて、それがわたしにとってわたしの魅力だと思う。

最近、のめり込める本が続いて夜更かしの連続。睡眠とか生活リズムが自制できないけど、豊かだ。

この本はこないだバッハを聴きながら読んだら良かった。
関係あるかどうか分からないけど最近ストーンズを聴きたい。
今調べたらこのタイトルはストーンズの曲のタイトルなんだね、関係あるのかな。

そういえば各章のタイトルもいい。章のタイトルをさきに作ってから中身を作ったんじゃないかと思うくらいいい。

恥部のスリム化


今気付いた。
変換ミスさえなくなれば、わたしの文章の恥部は50%ほど削減できる。

これからは変換ミスしないように(努力)しよう。

90′s


しっかり生きて、立派な職人になりたい。

と、「うたかた/サンクチュアリ」の後書きの最後に書いてあった。

このころのこの人の作品は、岡崎京子みたい。
今、市場に出たらこんなにはなんなかっただろう。
あのころのこれだからすごいんだろうな。
今読んでいいと思うのは、古さも踏まえていいと思うんだろうな。

職人は、ずっと「今いいもの」を作り続けなきゃいけない。

この人はいつも変わらず「小説を書くこと」を「仕事」としてやってる。
でも絶対、時代を追ってない。読者に媚びてない。文学をナメてない。

すごいな。

のだめドラマ


もっといろいろなものを見て、聞いて、経験して。

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演奏中に演奏者が感極まっちゃダメ。
でもおとなになってもたのしくなくちゃダメ。

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今の器と夢、両方ちゃんと分かっときたい。