生きてることに恋


かつての先生、わたしはたった3か月しか生徒じゃなかったけど、人生で出会った先生史上、すなおに「先生」って思える指折りの先生が、こんな言葉を著した。

 生きていること自体に恋してるかな。
(生きてることって、手のかかる恋人のようなものかも。
 どうしようもない、けど、すてることはできない、
 こころから愛しい、そして、そこにあることに感謝したり、って)

わたしはかつて、愛した人を裏切った。
あとで自分がなにしたかよく分かったけど、自分から裏切ったもんをどうしようもないし、そんな自分、こと恋愛においては信用ならない人間だと思ってきた。

けど、わたし、自分に恋してるし自分を愛してるし、「ついてけねー」って思うときもあるけど、それ込みで、一生愛し続けるしかないという覚悟はできてるわ。
(覚悟という言葉は、諦めという言葉と似てる。)

わたしが幸せにしてあげたい人の第一位はわたしだ。
すべてを捧げてわたしを愛してるわ。それも一生絶対。

恋ということでいえば、わたしはわたしのことをもっともっと知りたいし、どういうときにどういう行動するのか、しないのか、どうかわってゆくのか、どうしてそうなのか、つぶさにすごく興味ある。ずっとずっとそうだったし、これからもずっとずっとそうだ。絶対飽きないわ。

すべての人が本来そうなんだろうけど、それに自覚的かどうかで、生き方変わるなあ。

そこ自覚・覚悟できてるからこそ、心から愛しいし、わたしがここにあることに感謝もできるんだなあ。

自覚させてくれた人々よ、我が33年間の人生よ、ありがとう。

いいことしたい気分について


社会貢献・社会責任
身のまわりには汚れた泥混じりの水しかなく、毎日、そのような不衛生な水を頼って生活を送る人々が世界中で約8億8000万人。不衛生な環境のためにおなかをこわし、脱水症状に陥って亡くなる子どもの数は、1日3800人。清潔で安全な水と適切な衛生習慣があれば、守れるはずの命です。

ボルヴィックは「1L for 10L」プログラムを通じて、売り上げの一部をユニセフへ寄付することで、アフリカ マリ共和国において、清潔な水を確保するための深井戸の建設に協力しています。

社会貢献・社会責任

これを貼ってブログ記事を書くことが、どうして社会貢献になるのか理屈はぜんぜん分かりません。ほんとかな。うそでも損はしないからまいっか。

‥‥という程度のことだけど、最近、何かある度に、ツイッターでこういう社会貢献な仕組みが流れてくる。それはすごいスピードで拡大して、しかも何度も何度も繰り返し流れてくる。

ひと昔前、たとえば10年前とか20年前とか、みんなこんなに社会貢献に興味あったっけ。

今、大半の日本人にとっては、災害や貧困なんかはリアリティのない他人事で、行動のモチベーションになっているのは、多分そういう悲劇を助けたいということよりも、「いいことしたい」っていう漠としたいい人願望なんだと思う。そういう、なんというか、横並びの「気分」みたいなものが、学生紛争とかのころには思いもよらなかったゆるーい方法で結集して、それなりになにか「社会」を動かしてるんだとしたらすごいな。おもしろい。

  • いいことした。
  • わたしたしち社会を動かしてる。

こういう気分を実はみんな求めているわけだ。ワルぶったり反抗したりすることで社会の中に自分の実在感を得ようとしていた、ひと昔前のあのだっさい雰囲気にくらべて、なんと平和的な風潮でしょう。

昨日、社員の満足度調査上位の会社を取り上げるテレビ番組がやっていて、上位企業の特徴のひとつに「社会貢献」というのがあった。会社が利益を得るだけでなく、その会社の取り組みが社会に貢献しているほど、社員は自分の仕事に満足するらしい。例えばアロマオイルの会社は、アロマが好きで社員になったけど、アロマオイルの原料を作っている貧しい国に新しい事業を広めたりしていて、そういうのが満足感につながるんだそうだ。

こういうのは最近の傾向らしい。

なんだかやっぱり、この国はどんどん平和になっていってるように見えるなあ。わたし、最近税金払ってもいいかなって思いはじめてる。こないだの選挙後のテレビ番組でもヨーロッパ型の福祉と消費税みたいなことをけっこう議論してたし、有権者も消費税増額はやむを得ないって言ってるみたいだし。下手くそなりにもそういう方向に向かうなら、抵抗やめてもいいかな。

橙とか紫とかピンクとかが、ぎゅんぎゅん。


あまりにも仕事に飽きたので、息抜きにコンビニまで散歩するにも暑いので、ブログに写真でもアップしてみんとてするなり。

nishi

西。日暮れに燃える空。

east

東。日暮れに照らされる街。

最近心引かれたり興味を感じたりするのは、他愛なくあたりまえにすぐそこに肌に触れるところにある尊さみたいなもので、そういうことをちゃんと表現というか、人に伝わる形にしたいなと思っている。

撮影:昨日の日暮れ、会社の屋上にて。

渋谷


今日、仕事でちょっと渋谷を歩いた。
ものすごく人が多くて宣伝の音や車の音がうるさくて、窮屈なのに、解放感に浸れる。あの都心特有の雰囲気は、嫌いのつもりだけど、好きなのかもしれない。酔う。

ここなら体売ってもいっかって気分になるよな。

って何度も反芻した。

都会の解放感のせいでいい加減な人間になってしまう、ということではない。セックスとかそれにまつわるサービスを提供してお金を得るという仕事が、あそこでは受け容れられてるように感じる。

土地には血があると思う。いや、ないだろうけど、そう感じるくらい、土地って長いこと脈々となにかを受け継ぐ。少なくとも、人間の寿命よりはずっと長く、なにかを受け継ぐ。

そういう「なにか」の中に、上記職業意識も含まれていて、渋谷とか新宿とかって、そういうことを許容している気がする。

10年くらい前、わたしは新宿が嫌いだった(今でも嫌い)んだけど、ある人が新宿を好きだと言っていて「なんで?」って聞いたら「なんでもありだから」って言ってて、その時は分からなかった。だってきれいさとか安心感とか静けさとかいう、わたしの好きな要素はないから。でも、「なんでもあり」ってそういうことじゃなくて、人の逸脱を許すキャパみたいなことだったんだろうな。分からないけど、多分。

「思い切ってはみ出したところでほんとに面白いもの見つけられて、そこから戻ってやっと当たり前も面白く思える。両方ないとバランス狂う。」

これは、渋谷でツイートしようとして電波不良でツイートされなかったつぶやき。

映画『釣りバカ日誌19』


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『武士の一分』のとき、合同記者会見に出席した。壇れいはすごきれいで圧倒されたけど、それよりも山田洋次監督の物腰、姿勢、言葉選び、話し方すべてが壇れいの美しさより美しかった。

濡れ場や暴力のシーンをやらないことについてもお話してくれて、それがすごくよかった。そんなものを見せられるお客さんにも演じる役者さんにも失礼だと。‥‥失礼って言葉だったかどうか忘れたけど、とにかくだれもいい気持ちじゃないっていうようなことで、わたしはそーだそーだその通りだと思った。(でも『ドッグヴィル』もおもしろかったから一辺倒には言えない)

寅さんも、釣りバカも、すごくやさしくてあったかくて地に足が着いていて愛に満ちてる。これが品格というものではなかろうか。