おー
2009年11月28日 土曜日 00:00
ブルーハーツっていいな。
ライブハウスいーねー!
Youtube、ごちゃごちゃをなくして写真みたいに貼れるといいのになー。
方言、なまり。
2009年11月6日 金曜日 22:05
仕事で方言を集めとったら、飛騨弁で書いてあるブログの記事を見つけた。
おもしろいでわたしも名古屋弁で書いてみる。(※ATOKが変換してくれんのがはがゆい。けどおかしい。)
「方言」だとつまらんけど、「なまり」って、なんかおかしない?
わたしはいつのまにか思考がほぼ標準語になってまったで、いちいち変換せんならん。昔は名古屋弁をいちいち標準語にして喋るのがもどかしかったもんだけど。
方言変換のときにいつも浮かぶのは、おじいちゃんとおばあちゃんのいつもの、ふだんらしい、のどかな風景、表情。わたしがおばあちゃんになるまで長生きしてくれたらいいのになあ。
「なまり」の英語を探したら「accent」しかなかった! びっくり。accentよりはlanguageだよ。でも「言語」ってほどじゃない気もするよ。
本『はてしない物語』
2009年10月23日 金曜日 02:07
図書館で借りて読んでる。おもしろくなってきたら表紙にべったりビニールが貼ってある本のまま読み終えるのがもったいなくなってきて、新品をワンクリック購入してしまった。アマゾンでも高い本は中古で買うことが多いので(図書館や中古の、人が読んだ気配を含んだ本で物語を読むのは好き)、ハードカバーの新品購入は久しぶり。
虚無がファンタージェンを浸食している。まるでわたしの精神世界現状みたいだ。アトレイユが絶望の中、個ではなくて大きな世界のうねりの一部として、歩みを進めている。まるでわたしの欠落部分の揶揄みたいだ。
エンデは連作短編集『鏡のなかの鏡』の中のいくつかと、『モモ』を読んだけど、そんなにハマらなかったんだよね。だから『はてしない物語』も映画止まりだったんだよね。映画の前に本読んでたらよかったなーってこんなに思ったことはない。
ファンタジーの中で『ホビットの冒険』がいちばん好きだったけど、変わるかもしれない。『はてしない物語』は今読むのにタイミングがぴったりだ。足下がおぼつかない日々の中で、なんとかわたしと地面のフックのような役割をしてくれてるように思う。
しかし、買ってから新装版が出て悔しかった本の筆頭が『罪と罰』文庫、『モモ』、『ホビットの冒険』。
『ホビットの冒険』オリジナル版は、たぶん原著に忠実にという意味で本文が横組みなんだよね。だったらいっそ原文の英語でのオリジナルデザインのものが欲しい。けどそれはない。ので購入に至らず。いろんな装丁で出てるけど、トールキンの絵はどの画家のよりも好き。
『モモ』は作品自体にそれほど思い入れがないので購入に至らず。
『罪と罰』は最初に読んだのがボロボロになってしまったし再購入しようかなとも思うんだけど、最初に読んだ本には線が引いてあったり付箋がくっついてたりして、それなりに愛着がある。それはそれとして、再読用に新装版も買っちゃおうかな。文庫は圧倒的に新潮が好きだ。
文庫はカバーを捨てて保存する人もいる。たしかにこざっぱりして本棚に並べたときすっきりするしいいんだけど、装丁がないのはやっぱ寂しい。そんなにカバーが大事なら本屋で紙カバーつけてもらえば、とも思うんだけど、本を開くときに装丁が目に入って、それから読むのが読書の楽しみの大きな要素でもある。透明ビニールカバーなども試したけど、しっくりこない。本は紙か布が良い。
ただ、同じ絵柄の表紙がついてる絵本なんかは、カバーいらないかなと思う。カバーをつけておくのは日焼け対策程度。カバーが焼けたりボロくなったら外してしまう。
装丁ばなしついでに。最近帯込みでデザインが成立している装丁があるけど、あれは悲しい。帯は読むときじゃまだし広告なので外したい。でも外すとデザインが崩れる。苦肉の策として、帯は外して捨てないで栞代わりにするんだけど、栞にすると結局なくしてしまうんだよね。
書店陳列時に目立つことを重視した装丁が最近多くて、感心するんだけど、やっぱり本の持つ世界への玄関としてあってくれるのが好き。ジャケ買いすると鈴木誠一デザインのものが多い、というのは、そのへんに理由があるように思う。
これだけ装丁について考えさせる『果てしない物語』はすごいな。しかも中身もすごいぜー。セバスチアンの本へのこだわりについて、ほんとうにおもしろい物語ってこんな物語だ、と描写しているくだりがあるのだけど、ほんと、正々堂々とあんなことを書いてしまえるエンデはすごい。あそこで「あートールキンより好きかも」と思った。
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あった‥‥。
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追記 -10/30深夜-
『はてしない物語』は、児童文学、ファンタジー、冒険、というかたちで書かれた哲学書。子どもにすんなり伝わる平易な冒険物語を追いながら、知らないうちにすごく大きな心理がすーっと体に浸透していく。ごく自然に、ゆるやかに、やわらかく、しなやかに。
そういう表現の仕方が、わたしにはちょうどいい。読み手としても書き手としても。
ここのつめのみっしょん
2009年9月15日 火曜日 00:41
うちのインテルハイッテナイパソコンにCS3入れる。
なんで入んないのっ*>< *
あ、顔文字使っちゃった。宇多田ヒカルのブログのせいです。
なんでいまさらこんなミッションなんだよーぅ。
そして、adobeなんかなくたって、ななつめ以前のミッションは実行可能なはず。
adobeカスタマーセンターがやってる時間に自宅にいるためにはどうしたらいいんだっ。連休入っちゃうしっ。
本当に連休があればいいのに。2日呆けて家事をして、あと1週間くらいおかっぱいじりできたらいいのに。ついでに自分の髪もなんとかしたい。おかっぱじゃなくてマイケルジャクソンになっちゃってる。
仕事はたのしい。ぐちぐち言っても、忙しいのはやっぱ楽しい。やなことも含めてたのしい。
あ、そういえばこないだプロフェッショナル仕事の流儀に出てたお医者さんが、「プロフェッショナルとは」の問いに「究極のアマチュアリズム」と言ってた。この番組では最後に絶対この質問の答えが紹介されて、今までいつも受け答えがとんちんかんだなーって思ってたんだけど、これはすごく納得した。あこがれた。
あと、関係ないけど女流文学が読みたい。しっかりしたのは意外とない。モチーフや筋もそうだけど、それより言葉選びとかリズムとか行間とか、理屈じゃないもの。女は小説家に向かないのかしら。それとも土壌? 児童書はいっぱいあるのになー。漫画は男性作家より歴史は浅いがたんまりある。
トリップ
2009年8月31日 月曜日 03:37
日本語がわたしの言葉としてしか存在しないってどんな感じかな。
外国語圏におけるわたしとか、しゃべれない子どもとわたしとか。
 
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