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月夜のきつね
夜がすっかり更けました。大里村の広い田んぼにお月さんがヒラヒラと影をうつしとります。グッグッ、グッグッと、カエルがなきあっとります。
「今夜は薬の草をぎょうさんきざめたわ。」
と、お医者の文斎先生は腰を伸ばして言いました。その時です。
──トントン、トントン。
「こんばんは、文斎先生。落合村の孝吉です。急病人だでおねぎゃあします。」
「もうひゃあ晩げだで、すまんけど明日にしてちょ。」
文斎先生は言いました。そんでも孝吉は、
「おねぎゃあします。おっかあが苦しがってまってかんのです。先生、ちゃっときてちょうせ。」
暗い夜のことで、孝吉の顔はよく見えなんだけど、必死な様子はよお分かりました。
文斎先生は腕もええが気持ちもやさしいお医者でした。
文斎先生は、孝吉について外へ出ました。月の明かりに照らされた大里村です。薬箱をしょべつった孝吉が、ひょいひょい急ぎます。文斎先生は、
「そおもはよては、ついてけえせんがね。」
と、うしろから走っていきます。
グッグッ、グッグッと、カエルがなきあっとります。
「おや、ここはひゃあ落合村の仏音寺だにゃあか。」
「ほうですわ。わしんとこはこのすんと裏。ほれ、ここですわ。」
孝吉が指さしたのは、うっそうとした林の中の、小さい狭い家でした。中ではおばあさんがウンウンうなっとります。
「どれどれ、ふんふん。なるほど、こりゃあ食いすぎだわ。てゃあしたことにゃあわ。」
文斎先生は、おばあさんの体をそおっと起こすと、薬箱から薬を出して飲ませました。
しばらくするとおばあさんの案配もよおなりました。
「孝吉よ、先生にお茶でも飲んでまやあせ。」
夜が深まり、カエルの声も静まりました。文斎先生は、孝吉が出してくれた菓子を紙に包んでもらうと、薬代と一緒に薬箱にしまい、帰りじたくを整えました。孝吉は体を半分に折り曲げて、ありがとうございます、ありがとうございます、となんべんもお礼を言いました。
「まあよかったわ。孝吉さんのまごころが通じたんだにゃあか?」
文斎先生は、ほくほくと笑っていとまを告げました。
あくる朝です。文斎先生は仕事に取りかかろうとして気がつきました。
(やってまった。でゃあじなメガネを孝吉んとこにうしなきゃあてまったみてゃあだわ。おばあさんも診たらなかんしなあ。)
よう晴れた暑い朝です。昨日の道をたどって落合村の仏音寺の裏に着きました。
ところが驚いたことに、孝吉のうちなんかちょっともありません。墓場の裏の暗い林にメガネがちょんと置いてありました。
コーン、コーン、コーンと、キツネの鳴き声がしとります。
(ほおかなるほど、わしゃあキツネにうみゃあこと化かされてまったな。ありゃ孝吉の声だ。ばあさんもつるっと良うなったようだわ。よしよし。)
文斎先生はメガネを取ってうちへ帰りました。薬箱を見ると、菓子と薬代はちゃんと本物が入っていました。ただ、菓子を包んでもらったはずの紙だけが、フキの葉っぱになっとりました。
文斎先生はその菓子をつまみながら、やっと、朝の仕事にとりかかりました。
おしまい
おはなしの背景
五条川のほとりにある仏音寺は、今ものどかな風情を残し、田んぼが水を張る季節になるとカエルの声が沸き立ちます。寺の裏手にはよく手入れされた墓地が広がっています。けれど、ご住職によると、昔は鬱蒼と茂る木々が恐ろしいほどだったそうです。
物語の中に出てきた「大里村」は現在の「稲沢市井之口」、「落合村」は「西春日井郡春日町」です。仏音寺はJR東海道本線「稲沢駅」から徒歩25分。近くには桜並木の美しいウォーキングコースもありますので、ぜひのんびり歩いてみてくださいね。
この作品は、Ai県マガジン
に掲載されました。
